若者と鍼灸と
JR、地下鉄、京阪の3路線が使え、特急も快速も停まる京橋駅。
近隣のビジネス街に会社がある人は、京橋で乗り換えたり下車したりします。
飲み屋街として京橋を利用する人も多くいます。立ち飲み屋が多い街でもあります。
そんな立地から、ウチの来院者のほとんどは働く世代。30代、40代が多い。
鍼灸院に多いと思われている高齢者の来院は、ほとんどありません。
(看板も出さずにやっているというのもありますが)
ときどき、20代の方も来られます。
ウチの娘と同じ年やん~ 娘より年下やん~
ぐらいに若い方も。
私が20代の頃、それも20代前半の頃なんて、鍼灸院に行くという発想はなかった。
肩こった~ 疲れた~ なんて言うことはあっても、治療しようという考えにはつながらなかった。
これは私だけでなく、同世代の友人らも言ってること。
「私らの若い頃って、マッサージとか鍼とか、思いつきもせんかったよね」
体のメンテナンスって発想もなかった。あっても「なにか運動でもするか」で、治療という選択肢はなかった。
今の若い世代は、健康に対する関心がとても高いように思う。
情報量が違うからだろうか。
今みたいな、あふれるほどの健康情報なんて、私らの頃はなかった。
そして、選択肢も今ほど多くなかった。
缶コーヒーだって今みたいな種類はないし、コスメだってうんと種類が少ない。
当時でも「物余り」とか言われてたと思うんだけど。
そんな頃の「治療の選択肢」って、身近なのは病院ぐらい。
鍼灸院や整骨院はあったけど、
「お年寄りの行くところ」
でした。
しかも、圧倒的に数が少なかった!
鍼灸院の数が少なかったのは、鍼灸師の数が少なかったからです。
むかーしは鍼灸師になるのはくそ難しくてくそ高いお金がかかった。
法改正で鍼灸の専門学校が続々できて、鍼灸師の数が一気に増えたわけです。
(おかげで私も鍼灸師になれた)
数が増えればいろんなタイプの鍼灸師・鍼灸院が出てきます。
おしゃれ~な鍼灸院も増えました。
美容という切り口で鍼灸の裾野を広げるべく頑張ってくれた方々もいます。
そんなこんなで、鍼灸院は若い世代にも身近な存在になりました。
人が増える、それも若い世代が増えるのは楽しいことです。
新陳代謝は大事なんですよね。
古くからある仕事、業界って、年配者がふんぞり返りがちです。
新しい試みや動きを否定しがちです。
コーヒーがマシンで淹れられるようになった時、昔ながらの喫茶店は「あんなもの」的な反応をしました。
その後、昔ながらの方が廃れましたよね?
(未だに「昔ながら」が残っていたりもしますが、残ってるのが不思議なくらいくそ不味いこともあります)
で、今はまた自家焙煎、ハンドドリップなどが復活してますが、昔ながらの喫茶店と同じではありません。
若い世代の感性で生まれ変わって、それが受け入れられてるのだと思います。
(鍼灸と無関係なコーヒーの話をしたのは、私がコーヒー大好きだからでっす)
なにが言いたいかって、
時代も環境も変わります。人の感覚も当然変わります。
体の疲れ具合も変わります。
「若いもんは一晩寝たら治る」
なんて現代社会では難しいです。
肉体労働なら寝れば治る。でも今の労働は、頭脳労働が主です。頭脳労働からの疲労は、寝たら治るどころか寝れなくて酷くなることだってあります。
生活時間も多様です。人付き合いも変わりました。
社会や環境が変わり、感覚が変わってるのに、「昔ながら」は通用しない。
昔ながらが悪いと言ってるのではありません。
それがすべてだと思い込むのは違うと言いたいだけです。
(あと、頑固に思い込んでる「昔ながら」って、意外に歴史が浅いこともあります…)
新しいものが生まれ、受け入れられる背景には、理由があるはず。
それらに拒否反応示して理解しようともしないのは、大きな損失です。
ところで、私のやっている鍼灸は経絡治療で、古典派と称されるものです。
古典と聞くと、思いっきり昔からってイメージかもしれませんが、昭和時代に確立されたものです。
鍼灸は大昔からありますが、明治時代に壊滅的、形骸化してしまったものを、昭和の鍼灸師たちが建て直したものが、現代の古典派鍼灸です。
この建て直しを頑張った鍼灸師たちは、当時の若者、若手。
建て直しは「新しい試み」です。
古典と言われてるけど、若い人が頑張って再生させた鍼灸。
100年に満たない歴史と言えるかもしれません。
当時にこの「新しい試み」を潰していたら、鍼灸自体が消え失せていた可能性だってあるわけで。
うまくまとめられませんが、
とにかく若い世代、若い力はいつの時代も必要だってこと。
そして、新しい試みを応援しつつ、失われてはいけないものを伝えていくのが年長者の役割。
ってことを、私自身もしっかり肝に銘じなければ。
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