師匠のこと 鍼1本が道をひらく
こんばんは。今出です。
師匠との出会いによって、鍼灸師としての将来像が見え始めた私。
私と同じように、いや、私以上に師匠に魅せられた先輩方がいます。
みな、師匠の鍼に感銘を受け、ついていくと決めたわけですが、
中でもダントツに師匠に魅せられたのは、師匠亡き後、遺志を継いで私たちを指導してくださっているI先生です。
I先生は母校の1期生。
詳しい経緯は知りませんが、社会人を経てからの入学組です。
先生には持病がありました。
全身のけいれん発作が起こり、ひどい時には救急搬送されることもあったそうです。
鍼灸の専門学校在学時にも、何度か救急搬送されたらしい。
鍼灸専門学校ですから、学校には鍼灸師の先生が多くいます。でも、けいれんが起こっても誰もそれを治すことができなかったそうです。
特効穴などを使って鍼をされても、まったく効かない。
そんなことが何度かあって、I先生は「鍼灸なんてあかんな」と思い始めた。
鍼灸師になるのをやめて、医学部に入り直そうと考えていたそうです。
そんな矢先に、またけいれん発作が。
「どうせ効かない」と思いながらI先生は師匠の鍼を受けることになりました。
師匠はけいれんするI先生を見ても「ああ、けいれん出たんか」と、のほほんとした調子です。
I先生ははなから「治るわけない、効くわけない」と思っています。
師匠は「ほな、足出して」いつも通りの口調で言い、I先生に足を出させると鍼を1本、打ちました。
そのたった1本で、I先生の全身からすーーーっとこわばりが抜け、けいれんが治まった。
I先生、なにが起こったかわかりません。
それまで何人もの先生がやってもダメだったのに、たった1本の鍼で治まるんですよ?
なに? え? なに?
そうなってしまうのは想像に難くない。
なに?え? となってるI先生をよそに、
「治まったな。本治しとこか」
なんでもないことのように師匠は全身を整える治療をしていきます。
そして、まもなく完治。
I先生は師匠に心酔し、鞄持ちなどをしながらがっつりどっぷり、師匠の技だけでなく生き方、姿勢、なにもかもを学び取ろうと着いていくこととなるのでした。
師匠の鍼1本がなければ、I先生は鍼灸師になっていなかったかもしれない。
現在、I先生は師匠の心技を私たちに伝えてくれる存在になっているので、I先生が鍼灸師になっていなければ、私たち後輩は師匠の素晴らしさに触れられないままだったかもしれない。
触れられなかったら、私は鍼灸師としての将来を描けなかったままかもしれない。
そう思うと、たった1本の鍼が後輩たちの道を開くきっかけとなったのです。
ちなみにその1本とは、『陽陵泉』への1本。
膝下、足の外側にあるツボです。
『筋会(きんえ)』といって、筋の病一切を主るとされています。
けいれんは筋の病の一種。なので、筋会が効くというのは理屈としてとっても納得できます。
でもね、でもね。
私らが打っても、そこまで効かんわ~
確実な取穴、確実な刺鍼があってこそ効くもの。ミクロの差の世界。
ツボは効くものではなく、効かせるもの。
そんな言葉もあります。
師匠は他にも、食あたりを築賓1本で治したり、上がらない腕を外関1本で上がるようにしたりと、ミラクルとしか思えないようなことを普通に、ちょいちょいとやるような感じでされていました。
あまりにも自然体で、気負いもなくやるものだから、傍目には簡単にできそうに見えます。
けど、同じようにやってみても同じ結果は得られません。
腕の差、経験の差、人間性の差。どうしようもない差があるわけです。
それでも、鍼1本でミラクルな結果が出せることを見てきたから、日々精進すればたどり着けると思えます。
鍼灸の可能性を信じられます。
開いてもらった道が荒れてしまわぬよう、途絶えてしまわぬように私は毎日鍼を打つのでした。
『師匠のこと』は、まだまだ続く予定です。
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